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木造薬師如来坐像

木造薬師如来坐像
  • 名称:木造薬師如来坐像【もくぞうやくしにょらいざぞう】(像底に元亨三年、修補大勧進東岳院覚如阿闍梨、大仏師法眼実円等の転写修理銘がある)
  • 員数:1躯
  • 所有者:舎那院
  • 所有者の住所:長浜市宮前町13-45
  • 所在地:長浜市宮前町13-45
  • 法量:像高83.2センチメートル、髪際高71.7センチメートル
  • 品質形状:木造、一木造
  • 時代:平安時代(10世紀末〜11世紀前半)
  • 説明

大衣、裙を身にまとい、右足を上にして結跏趺坐する薬師如来像で、右手は左胸前で掌を正面に向け、左手は膝上で掌を仰ぎ、薬壺を載せる。頭・体の幹部は右肘までを含めて、ヒノキの一材より彫り出し、膝前部に横木一材、左肩から地付きに至る体側部材を矧ぎ付ける。像表面の仕上げは錆下地・漆箔とし、像底部は布貼りを施して漆で固める。両足の裙裾部は木屎漆で成形を行った上、錆下地・漆箔とする。
像底には、鎌倉時代の元亨3年(1323)と江戸時代の正徳4年(1714)の二度にわたる修理を記録した朱漆銘がある。近年の研究では、この銘文を手がかりに、本像が播磨の名刹・書写山円教寺(兵庫県姫路市)の根本堂(造立寺の名称は本堂)に、本尊として安置されていたことが明らかとなった。本像はその後、羽柴秀吉の播磨攻めにともなって長浜城下に移され、長浜八幡宮に安置されていたが、明治の神仏分離により、長浜八幡宮の神宮寺であった新放生寺の一坊・舎那院に伝えられた。
本像は、鎬を立てた衣文表現や、大きく張った両膝、奥行のある体部などから10世紀末期もしくはこれをやや下る11世紀前半の制作とみなされ、円教寺草創期にまで遡る可能性が高い。
以上のように、本像は、円教寺本堂に本尊として安置されていたという伝来の経緯が概ね判明する上、平安時代前期の重厚な彫刻から平安時代後期の和様彫刻へと転換する、まさに過渡期に相当する10世紀末期から11世紀初頭にかけての作例として彫刻史上、意義深いものといえる。