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観音玄義科

観音玄義科
  • 名称:観音玄義科【かんのんげんぎか】
  • 員数:1巻
  • 所有者:金剛輪寺
  • 所有者の所在地:愛荘町松尾寺873
  • 所在地:愛荘町松尾寺873
  • 法量:縦28.6センチメートル、横(第2紙)48.0センチメートル、(全長)668.9センチメートル
  • 品質形状:紙本墨書、巻子装
  • 時代:鎌倉時代(嘉禎3年=1237)
  • 説明

首題に「観音玄義科」、首題下に「四明沙門知礼述」と示され、北宋時代中国天台山の学僧として著名な知礼(960〜1028)が撰述した天台典籍の写本である。ただし、知礼撰の「観音玄義科」はあらゆる仏典を網羅した『大正新脩大蔵経』や、国内に現存する天台宗典籍を博捜した渋谷亮泰編『昭和現存天台書籍綜合目録』などにその名が見えず、現在知られるところでは唯一の写本である。世界的に現存極めて稀少な仏典であるといえる。
料紙は楮紙。表紙や軸を設けず本紙を巻くだけの巻子装で、淡墨界を施し、一紙22行、一行概ね22字あてに均整な楷書体で丁寧に書写される。書写奥書および伝領奥書があり、本書の書写事情、および室町期における伝領過程が明らかとなる。
書写奥書には、鎌倉時代前期の嘉禎3年(1237)7月2日、京都楊梅大宮にあった「一乗弘通之法家・十一面観世音菩薩御宿房」において書写したこと、テキストは前年(嘉禎2年)に入宋僧である「了行上人」が中国・南宋から初めて日本に将来した貴重本であったことが記される。了行は鎌倉御家人の千葉氏一族出身で、朝廷と幕府の双方に影響力をもつ高僧であった。建長3年に前将軍九条頼経らと結んで幕府転覆を企て逮捕、処刑されたため事跡不明の部分が多かったが、本書の奥書により入宋僧であったことが明らかになった。伝領奥書は本紙とは別の紙を継いで、永正17年(1520)に僧・源祝が書いた。文字の虫損箇所等を推定して読めば、本書が流祖・澄豪から源祝まで代々天台密教西山流の相承者に伝えられた経緯がわかる。金剛輪寺には西山流の灌頂道場が開かれていたので、その関係から同寺に伝わったと考えられる。
天台宗重要典籍の世界的な稀覯写本として、また入宋求法僧の足跡を具体的に明らかとする新史料として、アジア仏教史、日中文化交流史、日本中世史上に極めて貴重な典籍である。