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アール・ブリュットネットワーク メールマガジンインタビュー企画

「あなたにとってアール・ブリュットとは?」【第1回前編】

様々な立場の方に、「あなたにとってアール・ブリュットとは?」をテーマにアール・ブリュットに関する考え方や取組等についてお話を伺う企画の第1回目。
ゲストにボーダレス・アートミュージアムNO-MAアートディレクターのはたよしこ氏をお迎えし、これまでアール・ブリュットと関わってきた経緯や今までのお仕事などを中心に、はたさんにとってのアール・ブリュットとは何かを伺います。
この企画を通して、アール・ブリュットに関する様々な考え方を知っていただくとともに、アール・ブリュットやその周辺の人々の活動記録として情報の蓄積を行うことを目指します。

はたよしこ氏プロフィール

はたよしこ氏

1949年生まれ。絵本作家、「ボーダレス・アートミュージアムNO-MA」(近江八幡市)アートディレクター、すずかけ絵画クラブ主宰。

著書に『DNA パラダイス』(日本知的障害者福祉協会、2003年)、『アウトサイダー・アートの世界―東と西のアールブリュット』(紀伊国屋書店、2008 年)などがある。地元地域はもちろん全国的にも展覧会活動を活発に行い、近年その美術的評価が高まっている。また、国内外でアール・ブリュット作品を紹介し、展覧会やワークショップなどを行なっている。


アール・ブリュットネットワーク事務局(以下、「事務局」):
はたさんがアール・ブリュットに最初に出会われたのはいつでしょうか。

はたよしこ氏(以下、「はた」):
1987年の「知的児童学校作品展」ですね。それからアール・ブリュットの世界に足を踏み込んだように思います。その作品展には何も描かれていない真っ白の画用紙が貼られていて、どういうことなのかと思い、近づくと画用紙の端にクレヨンでアリのような小さな点々が描かれていました。
作家としては、新しいスタイルを考えますが、このような表現方法があるのかと、一発で作品の魅力にやられましたね。

事務局:
アール・ブリュットに出会われる前から絵本作家として活躍されていましたが。

はた:
絵本作家を始めたのは娘が小学校あがる前くらいの時からです。子育てだけでなく何かをしたいという思いがあり、大学時代に描いていた絵の経験もあるので出版社の公募展に応募しようと思いました。
文と絵で20ページくらいの規定のもので、初めての応募でしたが特選に選ばれました。 賞をとるなんて簡単なものじゃないかと思うくらいあっさりでした。そしてその絵本に新人賞という帯がついて出版されました。
それをきっかけに色んな出版社から依頼が来るようになって、絵本はもちろんですが、ストーリーの長い本に挿絵をつけるなど、トータルすると20冊くらい出しています。絵本を描くことで子どもの世界に目が向いている時に、先ほどの養護学校の子どもたちの絵に出会いました。
こんな絵はどんな人が描くの?ボランティアでいいから一緒に絵を描きたいと思い色んな作業所を回りましたが、役に立たないボランティアはいらないと断られる中、すずかけ作業所がしぶしぶながら引受けて下さいました。

事務局:
はたさんは自らを「押しかけボランティア」とおっしゃっているようですが。

はた:
はい。まさに押しかけボランティアです。
すずかけ作業所を選んだと言うよりは、いくつかお願いする中でそこしか引き受けてくれなかったという感じですね。全然期待もされていませんし、「そんなにやりたいなら放課後の時間ならやってもらっていいですよ。」という程度の消極的な受入れでした。

事務局:
絵画クラブでの作品制作は参加者にすんなり受け入れられたのでしょうか。

はた:
はい。それはもうびっくりしました。私が教えてあげないと描けないんじゃないかと思っていたところが、絵の具をチューブから全部出しきって手で描きだすなど、とんでもない状況になりましたね。
言葉で話せないぶん、自由に描けるとうことでガンガン吐き出すように描くんです。すごいなあと。時間ぎりぎりまで書くんです。

事務局:
たいへんダイナミックというか、セオリーにとらわれない、遊びの延長で楽しいから描くという雰囲気ですね。

はた:
同じ知的障害の方の中でも自閉症の方は場に合わせられないし、未体験のものには手を出さない。ボールペンで描いたりする程度です。
こちら側から画材をうまく選択してあげれば個性的な部分が引き出せるのだろうなという手探り状態でした。その手探り状態が面白かったのですが。

事務局:
絵画クラブでは絵だけではなく造形もされていたのですか?

はた:
粘土もありましたが、結局は絵を描く人が残ったという感じです。

事務局:
絵画クラブの活動は作業所内ではどのような評価だったのですか?

はた:
施設の職員側は何年間も無関心でしたね。

事務局:
それが変わっていくきっかけはあったのですか?

はた:
展覧会の開催ですね。私自身も展覧会を催すことで作品を社会に出して、本人や親御さんや一般の人の目に触れる機会を作れば、本人がどのような反応を示すのかに興味がありました。
それで展覧会をしたのですが、本人たちは展覧会に行ったことがないので、職員の人たちに連れられてやってきました。自分の作品があることは解るので、ジーっと自分の作品を見ているのですが、他の人の作品は見ないのです。そこがおもしろいなと思って見ていました。絵を描いている時じゃない自分の作品の見方に、なるほどなと、自分の世界が大事なんだなということがよく解りました。

事務局:
自分の絵が飾られたりすることは本人にとって励みになるのでしょうか。飾られたことが励みになって、より一層作品制作に夢中になるとか。

はた:
そういう方が多いですね。

事務局:
絵画クラブの活動と並行して絵本も描いておられたようですが、絵本に彼らの影響がでましたか。

はた:
だんだん自分の絵がつまらないと感じ始めました。絵本にはどうしても知的な考えを含ませてしまうというか、次ページをめくったときにドキッとさせようとか考えてしまう。
自分を半分に裂かれるような気持ちでしたが、依頼がくるからという理由で挿絵を描いていました。
けれど、だんだんおもしろくなくなって自分の気持ちに正直になろうと決心し、依頼を断り、絵本作家の活動はほとんどしなくなりました。

事務局:
90年代半ばから作品調査を本格的にされるようになったようですね。初めはどういうところから訪問されましたか。

はた:
その頃はほとんど情報がありませんでしたが、一番初めに伺ったのは、京都の亀岡にあるみずのき寮でした。どこかでそこを知って、そこはよく通っていました。
また、北岡賢剛さん(現社会福祉法人グロー理事長)が当時いらした信楽青年寮はかなり早くから訪問していました。
絵本作家で著名な田島征三さんが書かれた、「不思議なアーティストたち」という本を書店でたまたま見つけて手にとって見ると、青年寮の粘土の作品や絵画の写真が目につき、文章のタッチも素敵で購入し、一気に読みました。
こういうことを本格的にやっている人がいるんだと思い、信楽青年寮に電話をかけ、すぐに足を運んだという記憶があります。

事務局:
作品調査で色んな施設を回られた中で印象に残った作品や作家はありますか?

はた:
信楽青年寮にいらっしゃった伊藤喜彦さんです。彼はブツブツ怒りながら作品を制作されている姿が印象的でした。
近江学園も含めてあの辺りは粘土の作品が沢山あって、そのあたりを手繰りながらいろいろ見て回った。 信楽は質のいい粘土が採れる土地で、そこに、北岡さんがおられ、田島さんが来てと、用意されていたようなキャスティングだったと今となっては思います。

事務局:
そういう出会いや経過を経てNO-MAのアートディレクター就任につながる訳ですね。

はた:
國松元滋賀県知事がNO-MA設立のきっかけをつくってくださったのですが、あの方は粘土の作品が好きで、そういう人たちの作品をいつでも見られる場所を造れたらいいなという思いを持っておられたようです。そこでスタートするにあたり、北岡さんが私に声をかけてくださったのです。
初めての企画展は「わたしあるいはわたし」というテーマで、障害者の作品だけでなく一般の作家の作品とコラボレーションさせることに取り組みました。人の表現と言うのは、障害があるなしに関わらず、自分の頭の中にあるイメージを形にしたいという思いはきっと一緒なんだろうと思ってボ-ダレス・アートを思いつきました。
著名な作家も、アール・ブリュットという言葉をご存じなかったのですが、お話すると面白がって聞いてくださっていました。意外なことでしたが、私にはわかる気がします。誰も作ったことがないものを作りたい気持ちがアーティストの根本にあるので、その辺は狙った線がうまくあたりました。

この続きは次回メルマガ発行時に掲載します。
次回はNO-MA設立にあたっての苦労や、はたさんが手がけられた企画展のお話などを伺います。

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滋賀県文化スポーツ部文化芸術振興課
電話番号:077-528-3340
FAX番号:077-528-4833
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