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1:戦場・戦地の人々 隊付け衛生兵として激戦の地へ
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-銃弾が貫通したけど、私は運がよかった-
西村品造さん(大正7年生まれ 大津市)
戦場で倒れた兵士にその場で手当てをする
昭和13年に現役歩兵として入隊した西村さんは、のちに衛生兵に転科になりました。歩兵と共に戦闘に行き、戦場で倒れた兵士にその場で手当てをするのです。
ガーンという激しい衝撃を受けて
昭和16年12月、シンガポール攻略というマレー作戦に、医療鞄を持ち出動した西村さんは、歩兵と共に進撃をしました。どんどんどんどん進撃して、バクリというところでイギリス軍と激しい戦闘となりました。
敵味方双方から行き交う弾をかいくぐり、味方の負傷者の止血や手当てをしていた西村さんも、とうとうガーンという激しい衝撃を受けて、倒れてしまいました。銃弾が鎖骨下を貫通したのです。あと1cm上でも下でも動脈や心臓一撃のところを、間一髪で助かった西村さんは、幸いにも衛生隊に収容され、クアラルンプールの兵站病院に入院しました。

医療鞄をもっている西村さん
私は運がよかった
傷が治っても手が上がらない状態でしたが、それでも退院後はスマトラやジャワ島の警備につき、昭和18年に、スマトラ島で長期服務者として内地帰還を命じられ、帰国除隊となりました。
「私は運がよかったから助かった。」
昭和20年4月に再び召集された西村さんは、渥美半島の警備につき、そこで終戦を迎えました。

内地での演習の際、衛生兵の仲間と一緒に撮った写真(右から2人目が西村さん)
