元亀元年(1570)9月、挙兵した大坂本願寺の攻撃に向かった織田信長のすきをついて浅井・朝倉連合軍が湖西路を南下し京都に入ります。急きょ取って返した信長に対し、浅井・朝倉勢は京を出て比叡の山々に籠もりました。織田勢も山麓に布陣しますが、反信長の火の手が近江各所であがっており、容易に動くことができませんでした。結局、両者は山の上下でにらみあったまま、こうした膠着状態はこの年の暮れまで続きますが、将軍足利義昭のあっせんで和睦が成立し、お互いに陣を引き払って本国に戻りました。この一連の戦いを志賀の陣といい、信長にとってはもっとも危機的な状況の一つでした。
宇佐山城は湖西路の京への入り口を抑える要所です。志賀の陣では、信長の家臣森可成が宇佐山城を守っていましたが、南下する浅井・朝倉勢を迎撃しようとして討ち死にし、浅井・朝倉勢は入京をはたします。両者が和睦した後は、明智光秀が宇佐山城に入りました。
今回の講座では、宇佐山城跡を文化財専門職員の案内で探訪します。
滋賀公民館(講義)→宇佐山城跡→近江神宮(一次解散)→京阪近江神宮前駅
※全行程約5km・山の登り降りあり・健脚向き
健康保険証(コピー可)、雨具、弁当、水筒、手袋、タオル、山歩きに適した服装・靴