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ホーム > 湖国 滋賀~夢や希望に満ちた豊かさ実感・滋賀 > インタビュー・対談 > ミュージアムトーク:「白洲正子が愛した近江の魅力」

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更新日:2011年10月14日

滋賀・びわ湖ブランド推進キャンペーン

ミュージアムトーク:「白洲正子が愛した近江の魅力」

『西国巡礼』、『かくれ里』、『近江山河抄』などの著書で知られる随筆家の白洲正子さんは、近江の文化を愛し、何度も滋賀県を訪れました。
その滋賀県で、白洲さんの生誕100年を記念した特別展が開催されています。 特別展の会場となっている滋賀県立近代美術館において、『近江古事風物誌』の著者である高橋真名子さんと滋賀県の嘉田知事が、白洲さんの足跡をたどりながら、滋賀の魅力について語り合いました。

 

 

日時:平成22年10月24日(日曜日)
13時55分~15時10分

会場:滋賀県立近代美術館講堂

対談者:エッセイスト 高橋真名子さん
滋賀県知事 嘉田由紀子

進行役:滋賀県立近代美術館学芸課長 高梨純次

※生誕100年特別展 白洲正子「神と仏、自然への祈り」は平成22年10月19日~11月21日まで


「かくれ里」の取材で訪れた宇治田原にて
昭和45年 写真提供:新潮社
協力:旧白洲邸 武相荘

白洲正子さんにみちびかれて近江の奥深さを知る

高梨

今回の特別展では、白洲正子さんが感銘を受けた仏神像や宝物、旅をされた社寺にかかわる文化財などを展示しています。白洲さんは、仏像や神像といった文化財を美術館や博物館で見るのはけしからんというお考えだったのですが、今回は展覧会を一つの入り口として、実際の土地に行って雰囲気を味わっていただきたいという思いで企画しました。高橋さんは実際に滋賀を訪ね歩いてエッセイを書かれたそうですね。


高橋

20年ほど前、白洲さんの本を読んで感銘を受けたのが近江を訪ねる大きなきっかけです。自分の足で歩いてみますと、近江は豊かな自然に包まれ、守られるようにして古社寺や古美術があり、古くから続く営みがあり、お祭があるということを知りました。また訪ねる先々で、地元の方たちに温かく迎え入れていただきました。近江での経験は、東京では味わえないことが多くて、一つ一つが心に深くしみるんです。それを言葉で残しておきたいと思っていたら連載のお話があり、初めての本『近江古事風物誌』が生まれました。
書きながら思ったのは、近江というのは壮大なシンフォニーではないかと・・・。楽譜にはあまり指示が書かれていなくて、演奏者は自分の解釈、感性で自由に演奏させてもらえるんです。つまり近江は、訪ねる人の関心に合わせて幾通りもの近江像を描くことのできる、変化に富んだ魅力をたくさん持っていると思います。
白洲さんに導いていただいたと思っていますので、白洲さんの生誕100年を記念するこのような機会に、白洲さんと近江について知事とお話ができるのは大変光栄です。


高島市新旭町針江地区での「かばた」の調査
「かばた」については県外向け情報誌
「マザーレイク」VOL.3で紹介しています。


前野隆資さんの写真は、
琵琶湖博物館収蔵資料データベース
「湖と人のくらし写真アルバム」
でご覧になれます。

嘉田

私は昭和49年から琵琶湖周辺の集落で社会学の調査を始め、集落の中の組織はどうなっているのかとか、神社やお寺、川や森はどうやって守られているのかといったことを調べていたのですが、そんなときに白洲さんの『かくれ里』に出合いました。素晴らしい知識で、ここまで滋賀を読み込んでくださっているのかと感激したのですが、なぜかその時は本の内容があまり身につかなかったんです。
私は昭和30年代から40年代の暮らしぶりを自分なりに調べたいという思いで、当時の写真を徹底的に集めていきました。琵琶湖で顔を洗っていたとか、川の水を飲み水にしていたとか、日常の暮らしをとらえた写真を探しているうちに、昭和30年代の生活写真を数万枚撮られていた前野隆資さんという写真家に出会いました。前野さんの家に毎週通って写真の解説をうかがっていると、白洲さんのお話がたくさん出てくるんです。たしかに『かくれ里』の「石をたずねて」という章に前野さんが登場します。前野さんは白洲さんと一緒に歩き、生活者の目線で滋賀の暮らしを伝え、彼女の感性に影響を与えている。それで白洲さんをぐっと近くに感じるようになりました。
私にとって近江の奥深さを知る入り口が白洲さんでしたので、近江を愛し、語ってくださる方が亡くなって残念に思っていたのですが、高橋さんの本を新聞の書評で見つけて実際に読んでみて、白洲さんの再来だ、と喜びました。それで今回のミュージアムトークをお願いしたのです。


高梨

さて、このミュージアムトークを進めるにあたり、高橋さんには白洲正子さんが感じた近江の魅力を語るうえでのキーワードをあげていただきました。「文化の通り道」、「楽屋裏、縁の下の力持ち」、「歴史的な秘境」という三つです。


金勝山からの風景

高橋

白洲さんの著作からキーワードとしてあげた三点は、どれも白洲さんにとって“えたいのしれない魅力”でした。“えたいのしれない”というのは、何だか全くわからないということではなくて、今あげました三つの魅力が、すぐにそれとはわからない形で存在しているということだと思うんです。時空の壁に穴をあけて、歴史の彼方に隠れているものを掘り起こす楽しさがある。“えたいの知れない魅力”にはそんな意味が含まれていると思います。
白洲さんが書かれた紀行随筆は6冊。その主な舞台は関西ですが、すべてに出てくる場所は滋賀県だけですから、白洲さんの関心の高さがうかがえます。


近江は文化の通り道

石塔寺

杉野のオコナイ

高橋

近江は何本も街道が走っているので、近江自体が文化の通り道ですが、白洲さんがいわれている文化の通り道というのは、歴史のベールに包まれたりして“すぐにそれとはわからないような魅力”です。
例えば『かくれ里』の「金勝山をめぐって」の舞台になっている金勝山は、かつて東大寺や都の造営に必要な木材や技術の供給地で、紫香楽と奈良を結ぶ道を内在しています。「石をたずねて」の章にも、文化の通り道を見ることができます。近江が良質の石の産地で、古くから石積みの技術があったところに渡来の文化が融合した結果が、石塔寺の見事な三重塔、というわけです。
白洲さんが感じた文化の通り道は、このように歴史上の人物の足跡を繋いでいくことで見えてくるものや、文化の融合の跡に見られます。
私が感じた文化の通り道は、近江の祭や神事にあります。例えば、大津曳山祭のタペストリーは、日本に伝わったものが分断され、京都の祇園祭や大津、長浜の祭に分けられて使われています。また、湖北で厳冬に行われる「オコナイ」という神事は、生活に密着した神への信仰と仏教の流れをくむ行事が融合していて、人によって行われている、生きた神仏習合といえるのではないでしょうか。この“混ざった”というところに、私は近江が文化の通り道であることを感じます。


嘉田

かつては水の道こそが文化の道といわれたほどでしたから、水運が発達した時代には特に、琵琶湖の湖上交通が担っていたものは大きかったと思います。人と物が流れる様々な道が、“楽屋裏”といわれる近江の文化を支えたのだと思います。


近江は楽屋裏、縁の下の力持ち



上丹生木彫


高梨

では「楽屋裏、縁の下の力持ち」という魅力に話を移したいと思います。“楽屋裏”というと、必ずしも良いイメージではないかもしれませんが・・・


高橋

白洲さんが感じた“楽屋裏”というのは、プラスの意味なんです。むしろ主役よりすごいんだぞという意味を込めて、そう言われていると思うんです。それは私も同感です。『かくれ里』を例に見ると、木地師発祥の地といわれる大皇器地祖神社のお面や、“これこそ日本の形だ”と絶賛している油日神社の「福太夫」の古面がそうです。下地がよくなければ良いものは生まれません。木への信仰に根ざした木地師の仕事が、まさに縁の下の力持ちなんです。
私は現代の工芸にも、縁の下の力持ちを感じています。京友禅や加賀友禅の生地に使われている長浜のちりめん、仏壇に使われる繊細な米原市上丹生の木彫、また王朝文化の仮名の細書きに適していたといわれ、現在も国宝の修復に使われる大津市桐生の雁皮紙など、これはほんの一例ですが、日本文化の大事なところを支えているものがたくさんあって驚きます。
舞台は主役だけでは成り立ちません。脇役、大道具・小道具さんなど、舞台をつくっていくすべての方々によってできあがるものですから、滋賀県が果たしている役割はとても大きいと思います。


嘉田

高橋さんには、白洲さんのいう“楽屋裏”は発祥の地、あるいは目には見えないけれど物事の本質をきちんと維持しているという意味であろうとご説明をいただきました。
発祥の地という点で考えてみますと、白洲さんは、山川草木といった自然への信仰、神への信仰があったところへ仏教が伝わって合わさり、日本人の信仰の原点ができたという神仏習合の考えをお持ちでしたが、その出発点が近江だということが、日吉大社と比叡山延暦寺の関係からも読み取れるのではないかと思います。
また食文化では、なれ鮨が日本の寿司の発祥ですが、これは琵琶湖のフナと琵琶湖周辺でとれる米が出合ってできたものです。他にも律令制度や検地などの税政の基となる制度ができたり、国際商社の原点ともいわれる近江商人が出てきたり。これらは、人が動き、ものが動き、外から入ってきたものをうまく実用化する知恵がこの地域にあったからこそ生み出されてきたのだと思います。

近江は歴史的な秘境

高梨

三つめのキーワードは「歴史的な秘境」ということですが、ここでは古いもの、伝統文化が古い形のまま残っているという魅力についてお話しいただきたいと思います。


菅浦遠景

須賀神社

赤後寺


沖島

高橋

白洲さんの本を読んで先ず思い浮かぶのは、湖北の菅浦です。ここは湖のすぐそばまで山が迫った地形で、昔は陸路がなかったということです。淳仁天皇が祀られている須賀神社へ続く石段は、白洲さんが訪れた当時は裸足でお詣りする決まりでした(現在はサンダルが設置されています)。『かくれ里』には、白洲さんご自身がみぞれ交じりの寒い日に裸足になってその石段を上り、その石から伝わるものに信仰の篤さと厳しさを肌で感じたというくだりがあり、大変印象的です。
木地師の里の惟喬親王などもそうですが、近江には貴人が皇位を奪われて隠れ住んだという古くからの伝説を守り伝えるところがいくつかあります。こうした場所は奥まったところで交通も不便、そして生活も厳しかったかもしれない。けれどそこに自分たちの心の拠り所となる方が現れ、それを自分たちの歴史として信じ、今に伝えている。史実や史料よりも、生活の中から自然に生まれてきた信仰を大事にしたいという思いからでしょうか、白洲さんは大変心を動かされています。


嘉田

ふだんの生活の中にとけ込んだ信仰の姿を今も見られるということが、滋賀県の大きな魅力だと思います。高橋さんは白洲さんの再来だと思ったと申し上げましたが、単なる再来ではなくプラスされているものがあるんです。それは地元の方が語った言葉を本にたくさん引用されていること。
例えば「湖北の観音堂」の章、赤後寺のところでは、「私が訪ねたときに当番だった笠原さんという村の人と、『ここは信仰が篤いんですね』といった話をしていたとき、笠原さんはこんなことをいわれた。『信仰が篤いというのか、私は65になりますがね、私ですら昔のような信仰心はもうないと思いますよ。ただ、こうやってお当番させてもらって、あなたのように遠方から来られる人に観音様のことをお話しさせていただくと、なんかこう、感極まるちゅうんですか、自分の身内のことを話すような気持ちになるんです』」とあります。こういうことを私も県内のあちこちで聞いてきたのに記録に残せていなかったんですが、それを高橋さんが見事に表現されています。


高橋

赤後寺では、地元のみなさんにとって観音様は身内と同じかそれ以上の存在として寄り添っているんだなあと感じて、言葉にならない、何とも言えない温かな、じわっとくる気持ちになりました。
私は生活に密着した信仰の姿に、近江が歴史的な秘境であることを感じるんです。近江では信仰していることを意識していない。信仰が日常の生活の中に自然にとけ込んでいます。いろいろな方からお話を聞く中で、身内のように観音様を守っている姿に感銘を受けました。国宝や重要文化財級の観音様を地元の方が自分たちの手で守っていて、それを見せていただくために予約をすると、私だけのためにお堂を開けてくださる。そういうふうに観音様をお守りしているところは、他にはないと思います。白洲さんの『かくれ里』に「不断の尊敬と愛情によって磨かれ、育ち、輝きを増す」という私の大好きな言葉があるんですが、湖北の観音堂がまさにそうですし、近江自体がそういうところなんだと思います。
それから、歴史的な秘境として、沖島も思い浮かびます。ここは世界的にも珍しい、湖に浮かぶ島に人が住んでいるところです。上下水道がなかったときには琵琶湖の水だけで生活していたと聞きました。汚れるものは前の晩に洗い、朝一番に飲み水をくむ。自分が出した汚れはみんなに影響するということを常に意識した水の使い方なんですね。滋賀県全体も水への意識が高いと思いますが、とりわけ沖島は、県内でも一番水に対する清浄観が強いのではないかと思いました。簡単に水が手に入る現代ですが、自分自身の水の使い方について反省しました。
深い歴史があり、自然の恵みが今も人びとの暮らしや祈りといった営みと密接に結びつきながら循環している土地、それが歴史的な秘境である近江の魅力ではないかと思います。近江は不思議なほど物静かで控えめですが、開発の波を受けながらも大切な部分を守り抜こうとする、強くゆるぎない意志があるように思います。


彦根市上空

嘉田

そうですね。縄文・弥生の時代から自然の水を使って生きてきたという意識が、近江では現代の暮らしの中にも存在しています。歴史というのは教科書に載っているように右から左へ流れていくと考えがちですが、滋賀では地層のように積み重なっているという方がぴったりくるように思います。狩猟時代の漁業、稲作時代の農業、手工業や商業が栄え、工業化や情報化が進展する時代、すべての時代の暮らしの姿が、現代の湖の暮らし、里の暮らし、まちの暮らしの中に形を変えながらも生きているんです。つまり滋賀というのは、ほどほどの田舎であり、ほどほどの都会である。これは現代の人びとが憧れるものではないでしょうか。どんなに近代化しても、食べて出すという人の身体の自然のしくみは変わりませんから、身体も心も豊かに暮らすために、人はほどほどのバランスを求めるのではないかと思います。滋賀県に住む人びとが、これまでの暮らしの中で育んできた“自然とまちが調和したほどよい暮らしぶり”という生活文化。私はそれを滋賀の魅力として伝えていきたい。そして県民のみなさんには、人間の身の丈に合う暮らしぶりが根づいているこの滋賀に自信を持ってもらいたいと思っています。



びわこビジターズビューロー「白洲正子の愛した近江」

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