滋賀の風景
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矢橋港跡・矢橋帰帆島 やばせこうあと・やばせきはんとう
人工島になった近江八景の景勝地
 矢橋港は、草津市南西部、琵琶湖東岸にあった港。江戸時代、東海道で京へのぼるとき、瀬田の唐橋を経由するよりも、この矢橋から船で大津へいたるほうが行程的に短くてすむことから当時の旅人に重宝がられ、草津宿の発展などにも重要な役割を果たしました。
 白い帆をかけて大津の石場港とを結ぶ矢橋の渡しは、近江八景の一つ「矢橋の帰帆」として多くの絵や歌、謡曲などのモチーフになりました。
 しかし時代の趨勢(すうせい)には勝てず、鉄道の開通にともない、矢橋港はいつしか廃港になってしまいました。現在は公園として整備され、わずかに弘化3(1846)年に建てられた常夜灯が残るのみです。
 また、港跡の西には、下水処理施設として造られた人工島「矢橋帰帆島」があります。島には、野球場やテニスコート、グランドゴルフ場などのスポーツ施設のほか、楽しい遊具や芝生のある広場などがあり、市民の憩いの場になっています。
帰帆島には芭蕉の句碑
「かくれけり/師走の湖(うみ)の/かいつぶり」
が立っています。
【謡曲『兼平』】
 木曾に住む僧が、木曾義仲の霊を弔おうと、義仲が討ち死にした粟津に行く途中、矢橋の浦で柴を積んだ老船頭の船に乗せてもらいます。粟津に着くと船頭が消えてしまいますが、それは、義仲とともに命を落とした忠臣、今井四郎兼平でした。夜、回向をする僧の前に甲冑姿の兼平が現れ、主君と自分の弔いを頼み、と同時に「自害の手本」を見せた、兼平自身の壮絶な最後について語り始めます。
地域名:湖南
所在地:草津市
公園として整備されている矢橋帰帆島
公園として整備されている矢橋帰帆島
(2003年12月26日撮影)
矢橋港跡に残る常夜灯
矢橋港跡に残る常夜灯(2003年12月29日撮影)