滋賀の風景
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瀬田の唐橋 せたのからはし
幾多の戦禍で破壊と再建が繰り返された日本三名橋のひとつ
 琵琶湖の南端から流れ出る瀬田川にかかる瀬田の唐橋は、近江八景の一つ「瀬田の夕照(せきしょう)」として有名な橋で、古くは日本書紀にも登場するほどです。
 瀬田の唐橋は、東国から京に入る関所の役割を果たし、軍事・交通の要衝でもあったため、「唐橋を制する者は天下を制す」とまでいわれ、7世紀の後半の「壬申の乱」、13世紀の「承久の乱」、14世紀の「建武の戦い」など、幾多の戦乱の舞台になり、そのたびに破壊・再建を繰り返してきました。
 本来、橋はもう少し上流にありましたが、天正3(1575)年、織田信長が現在の位置に新しい橋を建設し、以来、今の場所が定位置になっています。
 その後も、たびたび橋は架け替えられ、現在の橋は昭和54年に造営されたもので、ゆるやかな反り、旧橋の擬宝珠(ぎぼし)をつけるなど、昔のおもかげをしのばせています。
 瀬田の唐橋は文学や民話にもたびたび登場しています。民話「三上山のムカデたいじ」では、唐橋を渡る俵藤太の前に龍宮の姫が変身した大蛇が現れますが、橋の東詰めには藤太や竜宮の王を祀る龍王宮秀郷社(りゅうおうぐうひでさとしゃ)や藤太の追善供養のために建立された雲住寺があります。
地域名:大津・志賀
所在地:大津市
擬宝珠やゆるやかな反りが古の面影を残す唐橋
擬宝珠やゆるやかな反りが古の面影を残す唐橋
(2002年11月16日撮影)
瀬田の唐橋遠景
瀬田の唐橋遠景(2003年12月26日撮影)