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【展示】甲賀路をゆく関西鉄道

展示期間 平成29年12月4日(月曜日)~平成30年1月18日(木曜日)

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関西鉄道は、明治22年(1889)に草津-三雲間が開通し、同40年(1907)には国有化された現在のJR草津線の前身です。関西鉄道株式会社は、本社が三重県四日市(明治33年(1900)に大阪に移転)にあり、大阪府、奈良県、京都府、滋賀県、三重県などと広域に鉄道網を広げた明治時代の大手私鉄でした。最初に開通した路線が滋賀県下の草津-三雲間であり、その設立には当時の県知事の中井弘や、県会議員らが大きく関わっていました。
今回の展示では、本県所有の歴史的文書に記載されている、関西鉄道の創設から国有化までの歴史をご覧いただきます。また、本県の近代化遺産でもある大沙川トンネル(現・湖南市)の開削に関する書類や写真、設立の立役者の一人である当時の県会議員・弘世助三郎(日本生命保険創業者)が設立時を振り返り執筆した文書なども紹介いたします。

関西鉄道株式会社の設立

「湖東鉄道敷設の件」 明治17年(1884)11月14日

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明治17年10月9日、旧彦根藩主井伊直憲や武節貫治、弘世助三郎をはじめ約40名が、官設予定路線であるものの着工には至っていなかった大津-長浜間(湖東線)の鉄道敷設を工部卿へ請願しました。この文書は、その敷設願に対する工部卿の回答です。その内容は湖東線は官設する予定であり、準備ができ次第着工するということを念押しするものでした。【明と21(134)】

「鉄道敷設に関する指令」 明治20年(1887)4月

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関西鉄道会社の鉄道敷設請願に対する政府からの指令です。当会社の構想は、大津-四日市間を手始めに、大阪、京都等各地方へも延伸し、関西一帯に鉄道網を広げるというものでした。しかしこの請願は、難工事が予想される区間や、大阪鉄道会社の請願と重複する区間があるなど問題がありました。そこで政府は、まず官設湖東線と分岐する草津から四日市間を基幹とした、三重県内への支線を含む路線で再度請願するようにと指示しています。【明う43合本4(50)】

「関西鉄道会社設立并起業請願」 明治21年(1888)1月23日

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関西鉄道株式会社は明治20年の政府からの指令を受け、草津-四日市、四日市-桑名、河原田-津の敷設を請願することとしました。そこで、同年5月に公布された私設鉄道条例に則り、これら3路線を同時に着手し6年後に完成の予定とする請願書を内閣総理大臣宛に提出しました。これに対して6年以内の竣工を明示した免許状が同21年3月1日付けで下付されました。【明と51合本3(3)】

「関西鉄道のために尽力した者に関する答申」 明治39年(1906)8月10日

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関西鉄道株式会社設立の立役者の一人である当時の県会議員・弘世助三郎(日本生命保険創業者)が、関西鉄道の国有化が決定した後に、設立時を振り返り執筆した文書です。鉄道局長から関西鉄道へ、会社設立及び運営の功労者に関しての照会があり、当時の社長・片岡直温が弘世に意見を求め作成されたものです。当時の県知事・中井弘の功績や自身の苦心が記されています。【明お62(26)】

関西鉄道用地調査

以下の3つの史料は、鉄道用地の買い上げの際に作成されたものです。鉄道敷設の許可が下りた関西鉄道会社は具体的な線形を決定し、明治21年6月に、現地へ中心杭を打ちました。その後、この中心杭を基に測量が行われ、役場や戸長などの当該地域の代表者はこれをもとに鉄道用地景況図を作成しました。

「栗太郡林村景況図」 明治21年(1888)6月~10月頃

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栗太郡林村の景況図です。周辺の地勢とともに、中心杭を基準にした鉄道路線の用地が朱書きで記されています。この図には、後から地割や番地が加筆されており、用地がどの地番に該当するかがわかるようになっています。【明と25合本1(7)】

「栗太郡林村潰地調書」 明治21年(1888)12月25日

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同じく林村の潰地調書です。景況図の地番と対応しており、所有者や地目、価格など買い上げる上で必要な情報がまとめられています。【明と41(11-1)】

「栗太郡林村分裂地図」 明治21年(1888)12月20日

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該当地域の分裂地図です。地番ごとの図面であり、その地番の内、どこが鉄道用地に該当し、どの部分が残るのか、その境目が記されています。【明と41(11-2)】

関西鉄道敷設工事

「関西鉄道会社草津・三雲間着工の件」 明治21年(1888)12月6日

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草津-三雲間の工事着工につき、鉄道用地を関西鉄道会社へ仮渡しするようにという、甲賀郡・栗太郡への通達です。その際、土地所有者には地代の8割を近日中に下付することを命じています。【明と45(70)】

「隧道(ずいどう)開削願」 明治21年(1888)11月10日

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関西鉄道会社から県知事の中井弘に提出された、大沙川、由良谷川、家棟川の三河川の下を通る鉄道専用トンネルの開削願です。添付資料として立面図や断面図が添えられており、その構造がよくわかる史料です。これら三河川は天井川であり、その下を直交する形で鉄道線路が敷かれました。コンクリートで基礎が造られ、隧道(ずいどう)内部は上部が煉瓦造り、下部はフランス積みの切石で構成されています。大沙川隧道(ずいどう)は現在も利用されており、本県の近代化遺産でもあります。【明う166(63)】

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※写真は工事中の大沙川トンネル(右)と家棟川トンネル(左)【資576】

関西鉄道の開通

「関西鉄道草津三雲間運輸開始」 明治22年(1889)12月16日

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関西鉄道草津-三雲間の運輸開始を知らせる官報の記事です。鉄道は1日6往復、約2時間おきに、草津から三雲まで約40分で運転していました。車両には上等、中等、下等が用意され、同区間の下等乗車賃金は10銭でした。これは、現在の貨幣価値に直すと約2,000円に当たります。翌年の2月19日には三雲-柘植間も運輸を開始し、現在の草津線が全通しました。(『官報』第1941号)

「停車場設置の件」 明治34年(1901)12月11日

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鉄道が開通した後も、必要に応じて新駅が造られました。この文書は柘植駅と深川駅の間に大原駅(現・甲賀駅)の設置を願い出たものです。この地には周辺村落からも人や物資が集まるので、ここに新駅を設けると大きな利益が得られるというのです。前年には深川-三雲間に貴生川駅(近江鉄道と接続、明治33年開業)も開設されています。【明な356合本3(6)】

「乗客賃金改正御届」 明治25年(1892)3月25日

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明治25年3月に関西鉄道が滋賀県へ提出した、乗客賃金の改正についての届け出です。同23年12月には柘植-四日市間が開業、翌24年11月には亀山から南下し津に至る路線も開通しています。このとき、草津から四日市までは下等賃金で50銭、津までは59銭でした。また、三雲までは13銭で、開通当時の10銭より値上がりしていたことがわかります。【明と55合本2(31)】

関西鉄道の国有化

「鉄道国有法」 明治39年(1906)3月30日

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鉄道国有法第二条により関西鉄道が政府の買収の対象となります。関西鉄道の他にも16の鉄道会社が国有化の対象となり、これら私鉄はこれ以降の他の私設鉄道株式会社との合併や買収を禁じられました。(国立公文書館所蔵)

「国有化による引き継ぎの件」 明治40年(1907)9月6日

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関西鉄道の国有化の決定により、路線の建設及び運営は国に引き継がれることとなります。この文書は鉄道線路や停車場での工事箇所立会調査を関西鉄道会社へ求めるもので、このように関西鉄道の事業の引き継ぎ作業が進められました。【明と80(16)】

「国有鉄道路線名称」 明治42年(1909)10月12日

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明治42年(1909)10月の鉄道院告示第54号により全国の国有鉄道に線路名称が定められました。旧関西鉄道の草津-柘植間には「草津線」という名称が付けられます。実際には明治40年の文書にも草津線という呼称は使われており、国有化が決定した頃から用いられていたと考えられます。(『官報』第7891号)

お問い合わせ
滋賀県総合企画部県民活動生活課県民情報室
電話番号:077-528-3126(県政史料室)
FAX番号:077-528-4813
メールアドレス:[email protected]
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