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史料解説(1)「小学校の設立」

明治維新後、新政府がすすめた教育改革のなかでも、小学校の設立は最も重要な課題とされました。基本的に武士層に限られた儒学中心の学校から、「国民皆学」で実学中心の学校へと転換を遂げる上で、全国津々浦々に小学校を設ける必要があったのです。今回は滋賀県における小学校設立の過程を紹介したいと思います。

藩・県主導の「小学(校)」

小学校は、明治5年(1872)の学制を契機として設立されたことがよく知られています。しかし実際には、それ以前にも「小学(校)」と呼ばれる学校は設立されていました。そのきっかけとなったのが、新政府が定めた「府県施政順序」(明治2年)と「中小学規則」(明治3年)です。前者は広く民衆が「書学」「素読」「算術」を学ぶための学校、後者は士族子弟の初等学校を意味していました。しかし実際には、両者の性格をもった「小学(校)」が各地に設けられたようです。
現滋賀県域でも、明治4年(1871)2月には、金沢藩領であった今津村(現高島市)に「小学所」が開設されています。当時金沢藩は、既に藩領に6つの小学所を設けており、同藩の飛び地であった今津村にも新たに設置されたのです。今津役所があった八郎左衛門宅が校舎として用いられ、身分に関わらず7歳以上の男女の子供は入学するよう通達が出されました。
同年7月には水口県でも「県学」(旧藩校)に「小学」が付随して開設されています。同校は廃藩置県に伴う藩校改革の一環として設けられたもので、県内に小学校が新たに設けられるまでの過渡的な処置でした。
両校は教育内容も比較的高度で、武士の子弟が学んでいた藩校に類似した学校(郷学)でしたが、身分にとらわれず、広く民衆に門戸が開かれていました。一方これらの藩や県自ら設立した「小学(校)」は、後の小学校にはつながりませんでした。水口県の小学の経過は不明ですが、金沢藩の小学所は、長浜県に併合される際に、補助金が得られず廃校の憂き目にあっています。

「人民共立」の小学校

明治5年(1872)7月に犬上県が発布した「小学校建営説諭書」では、小学校は「人民共立之学校ニして官費を仰ぐべき筋なけれバ」、有志の輩と相談して費用を捻出するよう、戸長らに指示が出されています。当時民衆が学ぶ学校は「人民共立」で設立すべきという考えが広くありました。
その観点から、現滋賀県域で最も早く設立されたのが、明治4年(1871)9月9日に坂田郡西本町(現長浜市)で開かれた小学校でした。同校は坂田郡第16・17区の総戸長を務めていた浅見又蔵が呼びかけたもので、本校に下村藤右衛門宅、支校に5つの寺子屋が使われました。本校では四書五経や和漢の歴史、支校では筆道(習字)が教えられたようです。滋賀県に併合後には、県内最初の小学校として、県令松田道之により「滋賀県第1小学校」と名付けられています。さらに明治7年(1874)には、洋風学校を神戸町に新設し、「開知学校」となりました。現在も残る同校舎は、平成22年(2010)に国の有形文化財に指定されています。
明治5年(1872)4月には犬上郡高宮村(現彦根市)に、北川忠四郎ら地元有志の手で小学校が設立されています。後に同校は「滋賀県第2小学校」となり、明治7年(1874)には「先鳴学校」と改称されました。これら「人民共立」の小学校は、現在に至るまで存続しています。

学制と立校方法概略

明治5年(1872)8月には、太政官より「学制」が出されます【明し161(1)】。従来の儒教思想に基づく教育が批判され、欧米の個人主義・実学主義の教育観が色濃く反映されています。「学問ハ身ヲ立るの財本」であることが説かれ、学校教育を受けなければ、自らの身を立てその繁栄をうることができないことが強調されました。学区制が採用され、全国を8大学区、1大学区に32中学区、1中学区を210小学区に分け、各区にそれぞれの段階に相当する大・中・小学校を1校ずつ配置する計画が示されています(後に7大学区に変更)。
これを受け、明治6年(1873)2月8日には、県令松田道之により「立校方法概略」が布達されます。小学校を原則として1区につき1校を設立し、学校入費は貧富に応じた戸別割とすることを定めました。一方で極貧者は出資を免除されたり、講や会社などを通じた多様な資金徴収の方法が示されています。他にも私学・私塾の活用や、校舎の民家・寺院の借り入れなど、民衆の負担を考慮に入れた柔軟な運用法が提示されました。
同年11月8日には各学区の内訳が布達され、第3大学区に位置づけられた滋賀県は、第9中学区に高島・滋賀・栗田、第10中学区に甲賀・野洲・蒲生、第11中学区に神崎・愛知・犬上、第12中学区に坂田・浅井・伊香の各郡を配置し、合計748小学区を設けました【明い44(58)】。そして明治10年(1877)までには、全小学区の9割にあたる680校もの小学校が設立されたのです。
【参考文献】

・小熊伸一「滋賀県の就学告諭」(『近代日本黎明期における「就学告諭」の研究』東信堂、2007年)

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