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【コラム】品質改良の試み

近江米の名声

江戸時代より江州(近江)米は、品質がよく、乾燥・調製・俵装も完全であったことから、その名声は広く世間に知られていました(『滋賀県実業要覧』)。当時の租税(年貢)は米納であったため、どの藩も厳格な規制を設けて、その米質を確保していました。米蔵は全て大津に置かれ、同地の米商を通じて京都に運ばれました。その米は京都の御備米と呼ばれ、京都以外への販売が禁じられていたものの、その評価の高さから十分な需要があったようです。
明治維新後も初代県令松田道之は、江州の数ある物産のなかで、米を筆頭にあげ、その品質は「固有ノ良位」を保ち、製法も申し分ないとたたえています【明い246(2)】。今後、輸送手段が発達し、海外の輸出が盛んになれば、現在の「江州米」から「日本ノ名物品」になるだろうと、惜しみない評価を与えました。

江州の掃き寄せ米

しかし明治8年(1875年)の地租改正を契機として、その名声は地に落ちることになります。租税が全て金納になったことから、米質の規制が弛緩し、小粒で粗悪な米が広がっていったのです。乾燥・調製は不十分なままで、俵装も濫造に流れました。一重俵で堅縄が用いられなかったため、揚げ卸しの際には、こぼれ落ちる米も少なくありませんでした。そのため貧困者が米商の門前や船着場に集まり、塵取りや手箒で散在する米をかき集める光景さえ見られたようです【明て54(66)】。この急速な米質低下の背景には、農民たちの市場観念の希薄さがあげられます。彼らは米質の善し悪しが価格に反映されているとは考えず、単に偶然的なものととらえていました。そのため収穫量のみを気にして、品質などはお構いなしだったのです。
この状況に危機感を覚えた県当局は、米質改良に取り組みます。明治12年10月16日、各郡に植物試作所を設置し、県庁より配布した稲種を試作させました【明い103(19)】。また同13年12月15日には、各自の経験や種子・苗木の交換を目的とした農会を県区村ごとにそれぞれ作らせます【明い113(167)】。
しかし明治15年に東京上野で開催された共進会(品評会)では、県内から1,652人が出品しましたが、受賞したのは1割に満たず、近江国は「中等部ノ上品」という評価にとどまりました【明た32(84)】。甲賀郡を除けば、調整・乾燥が不十分で、その改善は「近江国人民ノ急務」だと指摘されています。同会では「江州の掃き寄せ米」と酷評されたともいわれ、米質に自信をもっていた県内の生産者に大きな衝撃を与えました。
そこで県当局は、明治17年5月8日に農事規約例を公布し【明い144(51)】、乾燥の期間や調製の方法などを郡村ごとに守らせようとします。しかし罰則・強制規定はなく、その「改良心」は地域により様々だったようです。速やかに規約を設けて実績を上げた村があった一方、規約を設けず他人を非難するばかりで実行に至らなかった村もありました。

米質改良組合の結成

また県内の米商が米質改良に関心を示さず、むしろ農家を煽動して妨害していたことも、農事規約が守られない大きな要因でした。そのため勧業委員の堀井新治郎は、農商ともに1つの組合規約のもとで米質改良に努める必要性を説き、明治21年7月、全国でも例外的に制裁規定をもった米質改良組合が結成されます【大ふ7(28)】。堀井は蒲生郡岡本村(現東近江市)に生まれ、紅茶伝習所現業取締や岐阜県御用掛などを務めた人物で、謄写版(ガリ版)印刷機の開発者として知られています。堀井の提案で設立された同組合には、他県から規約書の請求や視察員の派遣が相次ぎ、その後全国で同様の組合が生まれました。
同組合では、各村に検査所を設置し、全ての生産米に対して、乾燥・調製・俵装の検査を行いました。さらに他府県に輸出する米については、各郡要所に設けた輸出米検査所で、品質に応じた等級記号(1~5等)を付けました。米質は、品質・色沢・形状・乾燥・調製の5点から評価されたようです。
明治28年4月には、滋賀郡膳所村(現大津市)に農事試験場が設立され、米の品種改良も大きく進みます。粗悪な小粒種が多かった県内生産米も、大粒種が増加し風味がよくなりました。このとき同試験場で生まれた「(滋賀)渡船」は、現在も県を代表する酒造好適米として知られています(『滋賀県実業要覧』)。酒米として著名な山田錦の親系統にあたり、一時は県内全域で生産されていました。昭和34年に生産が中止され、長らく「幻の酒米」として文献に残るだけの存在でしたが、平成16年に県が品種保存していた種子から復活を果たしています。
このような取り組みの結果、明治28年に開催された第4回内国勧業博覧会では、米質改良組合が表彰の栄誉を受けます。さらに明治30年の関西府県連合共進会では、大粒で品質良好のものが多いのは、他府県の遠く及ばないところだとして、近江米が「本会ノ出品中ニ冠タリ」との評価を受けました。かつて「掃き寄せ米」と評された近江米は、その名誉を十分に回復したといえるでしょう。その後米質改良組合は、明治31年4月1日に近江米同業組合と改称し、明治41年9月26日には、創立20周年の紀念式典が開かれました【明お58(217)】。
平成27年(2015年)に特Aランクの評価を受けた「みずかがみ」に代表されるような、今日の近江米の優れた品質は、同組合の長年にわたる米質改良の取り組みの延長上にあるのです。

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