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【コラム】琵琶湖の漁業

はじめに

現在、マザーレイクと称される琵琶湖は、日本最大の面積をほこる湖であるとともに、貴重な景観や数々の固有種を有す、県民だけではなく国民全体の財産ともいうべきものです。そして、琵琶湖条例を記念して定められた「びわ湖の日」が定着する中、日本遺産に琵琶湖とその水辺景観が登録されたことに象徴されるように、琵琶湖の価値も改めて再認識されつつあります。
ただ、これらの貴重な資源を守りつつ共生し、豊かな琵琶湖を維持していくためには、さまざまな努力が必要です。今回は、琵琶湖における漁業に焦点を当て、明治期の人びとがどのようにその維持に取り組んでいたのか、たどってみたいと思います。

法律による規制

琵琶湖での漁業の始まりは縄文時代ともいわれています。平安時代(11世紀後半)にはとりわけ下賀茂神社の御厨となった堅田の漁師たちが琵琶湖の漁場を拡大していきます。その後、彼らの漁労は、時の権力者、信長や秀吉、家康らによって保障され、江戸時代初期まで続きます。しかし、こうした堅田の漁師たちの漁労が活発化するにつれ、他地域の漁業者との紛争をたびたび引き起こすことにもなりました。漁業者にとっては、領主などから認められた特権は、他の地域とのあつれきを避けるためにも大切なものでした。たとえば、現在でも明治時代の漁業者が作成した史料が、歴史的文書に残されています。そこに江戸時代の領主が保障する“漁業権のお墨付き”を示す文書の写しが残されていますが、それは、先祖から代々受け継いできた史料を書きまとめたものでした。こうした史料は、漁業権を守り伝えようとする漁業者にとって、自身の正当性を示す重要な「証拠」となるものでした。
一方で、江戸時代には社寺領内での殺生禁断、藩主の遊漁地として入漁を禁じている場所もあり、湖上での漁場争いと定置網禁止などによる資源保護が絡んで、琵琶湖上は複雑な様相を呈していました。
明治時代になると、琵琶湖の漁業は新しい局面を向かえます。江戸時代までは、諸藩がそれぞれの政策で琵琶湖における漁業を統制していましたが、近江国全体にわたる保護政策はありませんでした。そこで、明治7(1874)年、初代県令松田道之は「湖川諸猟藻草及ヒ泥取規則并税則」を発布し、統一的な保護政策に乗り出します。この規則により「雑稼免許」・「専稼免許」・「借区免許」の三種類による鑑札免許制や、税金の上納制、漁場の制限などが正式に定められ、法による近代的な規制が始まりました【明う48(-)】。
しかし、こうした規制にもかかわらず魞漁などによる大量の乱獲が行われるようになると、県は一時的にその規制を強化しましたが、魞禁止については民間の反対が強く実質的には実現しませんでした【明い105(75)】。

新たな養殖事業への道

こうした状況に対応し、漁種の保護や増殖を図るため琵琶湖という限られた水域で、次々と養殖事業が始められました。明治11(1878)年には現在の醒井養鱒場につながる県営施設が坂田郡枝折村に設置され、さらに、明治17年9月に県が「湖川漁魚採藻取締規則」を発布して連合水産区を設けたことにより近江水産組合ができ、鯉・鱒・鰻などの魚苗放流や養魚場での鯉魚養成が進められていきます。また、固有種の品種価値を高めるため、明治23年に東京上野公園で開催された内国勧業博覧会に、沖島村(現近江八幡市)が漁獲したヒガイ魚が出品されました。ヒガイは琵琶湖の固有種であり、全長20センチほどに成育する名産品でした。史料中でもこのヒガイは、「湖魚中、最も名魚につき」と評価されていました【明て51(91)】。その後、明治33年には、近江水産組合が養鯉場とその施設を県に寄付したことをきっかけに、稚魚の育成・放流事業や淡水魚介類についての基礎的調査研究を担うことになる、県水産試験場が犬上郡福満村(現彦根市)に設置されます。
そして、このような明治期の養殖事業の興隆は、琵琶湖の漁業に大きな変化をもたらしました。1909(明治42)年には、動物学者の石川千代松氏が滋賀県水産試験場で小鮎の飼育に成功、琵琶湖のみならず全国の河川に放流する道を開きます。琵琶湖の漁業は、もはや天然の資源のみならず、水産試験場による採卵や育成、各地の漁業組合連合会が行う放流によるところが大きくなっていったのでした。

受け継いでいく共有財産

明治に入り琵琶湖の漁業も、漁業法などの法律による規制や養殖事業により、大きく変化しました。明治41年には琵琶湖養殖11ヶ年継続大計画が実施され、翌明治42年には琵琶湖水産物販売購買組合が組織されます。明治44年には漁業法が改正され、漁獲物の検査や魚商人の取締り規定が加えられました。
しかし、できる限り乱獲を防ぎつつ、なりわいを維持していくという方針はどの時代も変わりありませんでした。太古より続く恵み豊かな琵琶湖を守り、未来の人びとに受け継いでいくためにも、その環境や文化的景観を守っていく努力が、私たち一人一人に課せられています。

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