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【展示】県会解散の日―白熱する明治の議場―

展示期間 平成27年3月23日(月曜日)~5月21日(木曜日)

今年は4年に1度、地域の代表を選出する統一地方選挙の年であり、本県でも県議会選挙が行われます。かつて県議会は県会と呼ばれ、数々の議論が交わされてきました。そのなかでも、明治20年代の県会は、(1)瀬田川の鉄橋架設、(2)彦根への県庁移転、(3)坂田・東浅井両郡合併をめぐって、大変白熱したことで知られます。特に県庁移転をめぐっては、古来より交通の要所であった大津と、井伊家35万石の旧城下町・彦根との政治的駆け引きがなされ、県内全域を巻き込み一大論争となりました。その激論ぶりは、明治25年2月、内務大臣によって県会解散が命じられるほどでした。
これら明治の県政三大問題をめぐって、当時の県会議員たちは、各自が地域の代表として大いに意見を闘わせました。今回の展示では、議員たちの地域に対する思いが、県会での議論を通じてどのように表現されているかを見ていきたいと思います。

【コラム1】滋賀県庁舎の移転騒動
【コラム2】坂田・東浅井両郡合併問題

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瀬田川の鉄橋架設問題

「河辺党と山嶽党の対立」 明治23年(1890)11月14日

「河辺党と山嶽党の対立」

明治23年の県会は、瀬田川浚渫(しゅんせつ )事業の負担をめぐって大きな対立が生じていました。琵琶湖の水害に悩まされ続けてきた沿湖在住の「河辺党」と、浚渫事業にかかる「巨万ノ金」の負担を忌避する「山嶽党」との争いです。この事業が提案される背景には、明治22年2月、瀬田川に架設された鉄道橋が流水の妨げになっているという危機感がありました。喧々諤々(けんけんがくがく) の議論の末、原案25票、全廃23票の僅差で、同事業は可決されることになります。(『県会日誌』議会事務局蔵)

「勢田川鉄道橋に係る除害の儀につき建議」 明治24年(1891)12月15日

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県会にて浚渫(しゅんせつ)事業の可決を受けた岩崎小次郎知事は、明治23年11月19日、その認可を内務大臣に申請します。しかし流水量の増減は下流の利害に関わることから、京阪2府から強い反対があり実現にはいたりませんでした。その後赴任した大越亨(とおる) 知事も、翌年9月30日に上申書を提出しますが、鉄道橋架設による流水への影響が認められないと拒絶されます。県会は反発を強め、「県民ノ疾苦」を考慮するよう内務大臣に建議を行いました。 (『滋賀県会歴史』第1編7)

彦根への県庁移転問題

「滋賀県庁舎新築移庁舎余興煙火順番記」 明治21年(1888)

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旧県庁舎の円満院が手狭になったため新築された滋賀県庁舎の完成は、地元大津町民にとって、長らく待ち望んだ悲願でした。寄付金などの形で協力してきた人々は、移庁式当日、祝賀ムードに包まれます。この史料は完成を祝って琵琶湖上で打ち上げられた花火の目録です。昼に22発、夜に35発、合わせて57発の花火が野洲町の関係者から提供され、新しい県政の舞台を彩りました。【明お47(1)】

「県庁ヲ犬上郡彦根町ニ移スノ建議」 明治24年(1891)12月16日

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通常県会の最終日12月16日に神崎郡選出の磯部亀吉が提出した建議をきっかけとして、彦根町に県庁舎を移転する論議が始まりました。建議は可決され内務大臣品川弥二郎に提出されます。建議はその中で、鉄道が合流する草津や米原の中間に位置する彦根は交通網が発達して便利であり、大津町より多くの人口を有する点においても県庁を置くことが当然である、と論じています。【明き2(4)】

「初めての県会中止命令」 明治24年(1891)12月22日

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新築間もない県庁舎から彦根への県庁移転建議が突如提出され、当時記された県会日誌には県会の緊迫した模様が記されています。移庁建議の混乱を鎮めるため大越亨知事は、県政史上初めての県会中止命令を発しましたが、当時の大越知事は瀬田川の鉄橋架設問題や坂田・東浅井郡合併問題などの対応をめぐり議員から批判を受けており、県会はさらなる混乱へと突き進むことになります。(『県会日誌』議会事務局蔵)

「県庁ヲ彦根町ニ移ス滋賀県会ノ決議ニ付建白書、進達之件」 明治25年(1892)1月7日

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彦根への県庁移転に反対する大津町、堅田村、真野村、朝宮村、長野村在住3,701名からなる署名建白書です。京都、大阪に近い地理的状況や水運、陸運の両面から大津の県庁所在地としての利点を列挙しています。大津やその近在の人々も彦根への移庁案に反対し、交通の要衝である大津に引き続き県庁が置かれることを願っています。 【明お49合本2(6)】

「滋賀県会解散始末」 明治25年(1892)3月15日

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近江新報社が発行した、県庁移転騒動をまとめた一小冊。二度にわたる大越知事の県会中止命令などで混乱をきたした県会は、結局2月8日に至って内務大臣品川弥二郎の権限により県会解散となりました。本書では、愛知川御幸橋陥落事件や坂田郡・東浅井郡分合問題なども言及したうえで、県庁移転騒動について述べています。県会の中止と解散を「全国稀有の珍事にして紛々擾々、其間記すべき事頗る多く」と批判的に記しています。【明お52(40)】

坂田・東浅井両郡の合併問題

「郡制施行上坂田・東浅井両郡分合ノ義ニ付上申」 明治23年(1890)10月

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坂田・東浅井郡長木村広凱による両郡の合併・分離に関する上申書。坂田・東浅井の両郡は、それまで1つの行政区とされていましたが、郡制施行にともない、合併・分離の判断を県から求められていました。木村郡長は両郡の町村長・県会議員を集めて意見を聞いたところ、合併派と分離派に見解が分かれました。やむく木村郡長は、多数の意見である合併を上申することに決め、新たな郡名は両郡から各1字を取って「坂井郡」が適当と答えました。【明ふ59(2)】

「行政区画変更事由書」 明治23年(1890)11月

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しかしその後も両郡の合併・分離両派は、互いに主張を譲らず、県庁に陳情を重ねます。県知事岩崎小次郎は、当初は木村郡長の上申通り、両郡の合併を検討していたものの、両派の激しい対立に危機感を強めました。このまま合併しても「到底協和結合ノ望ミナキ」として、両郡の分離を内務大臣に上申することになります。その結果、帝国議会に提出された郡の合併に関する法案では、坂田・東浅井両郡が取り上げられることはありませんでした。【明こ166合本3(1)】

「郡分合ニ付建議」 明治24年(1891)12月12日

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坂田・東浅井両郡の合併・分離問題は泥沼の争いとなっていきました。これに見かねた愛知郡選出の横田耕(こう)議員より、内務大臣宛ての建議案が通常県会に提出されます。合併・分離両派とも主張に偏りがあるため、坂田郡を流れる天野川を境に、同郡南部を犬上郡、北部を東浅井郡に分割するのが「公平」だというのです。これに対して、坂田郡選出の上田喜陸(きりく)議員から反対意見が述べられますが、結局は横田案が過半数を得て可決されることになります。【明き16(32)】

「知事不信任をめぐる議論] 明治25年(1892)1月6日

坂田郡の分割建議に憤慨したのが坂田郡の住民たちでした。赴任したばかりの大越亨(とおる)知事も、自ら実地調査したところ、水利の関係上とても天野川を境に分割できないことを悟ります。県会議長らは建議に基づき、上京して内務省との折衝を重ねますが、知事の協力を得られず、坂田郡の分割は実現の見込みがないと拒絶されました。そこで臨時県会では、知事の「食言」(嘘)を日誌(議事録)に書き込むという不信任決議が可決されてしまうのです。(『県会日誌』議会事務局蔵)

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「品川内務大臣県会解散命令] 明治25年(1892)2月4日

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不信任を突きつけられた大越知事は、県庁移転騒動に続く同年度2回目となる県会中止を決断します。さらに事態を重く見た大越知事は、硬派と称する「破壊主義」の議員らが県会を牛耳っていると、内務省に県会の解散を求めました。そして同大臣品川弥二郎より、滋賀県会の議決は「国ノ安寧ヲ妨害スルモノ」だとして、滋賀県政史上前代未聞の県会解散が命じられることになるのです。【明き19(15)】

再燃する県庁移転問題

「県庁舎移転に関わる陳情書」 昭和11年(1936)5月7日

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明治期に新築された県庁舎も老朽化がすすみ、改築が議論されるようになりました。この改築を契機に、彦根においては、前回は挫折した県庁移転を果たそうと、機運が盛り上がります。これは、彦根町長平塚分四朗と彦根町会議長渡辺九一郎が彦根への県庁舎移転を求めて、滋賀県知事二見直三に宛てて提出した陳情書です。【昭の1(8)】

「早暁の閉会式」 昭和11年12月(1936)

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昭和11年の通常県会で老朽化した県庁改築に関する質疑は、多数の傍聴者が見守る中、12月17日未明にまで及ぶ審議が行われました。結果、彦根側の廃案意見もむなしく現在地での県庁改築案が一部の修正のもとに可決されます。そして午前3時37分閉会となって、彦根への県庁移転運動も終焉をむかえました。 (『県会日誌』議会事務局蔵)

「県会答弁資料(県庁改築に関する件)」 昭和12年(1937)11月

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昭和12年の県会で答弁された県庁舎改築に関する庶務課作成の資料。昭和11年12月から12年11月までの改築工事に関する経過を説明しています。県は改築に際し、佐藤功一と國枝博に設計を依頼しました。また施工業者には大林組が随意契約で請け負うことになりました。工費として173万円あまりを費やした県庁舎は、昭和14年5月16日、竣工式を迎え完成しました。 【昭き16(1)】

『滋賀県庁改築記念誌』・『別冊』 昭和16年(1941)3月30日

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この冊子は昭和16年に滋賀県庁舎の改築を記念して発行されたものです。300ページ近くにわたる内容は、県庁舎の沿革や概要とともに、改築案が県会に出され紆余曲折の後に採用されるまでの経過が、資料とともに事細かに述べられています。また別冊では彦根町における議論の推移や世論の動きなどについても新聞記事を挙げながら詳述されています。【昭の6】

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