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個人展示|戦場・戦地の人々

戦友に生かされた夫

-フィリピン戦線で負傷した夫を支えて-
田村 芳江さん (昭和3年生まれ 大津市)

田村芳江さんの夫、栄さんは大正10年に大津で生まれ、昭和16年に徴兵検査に合格。栄さんは翌年の1月、敦賀の連隊に入営しました。

栄さんは3ヵ月の初年兵教育を受け、5月にはフィリピンに派遣されました。初年兵としていきなり激戦地に派遣された栄さん。

「戦地では、敵が撃ってくる時に、向こうまで走りぬけるようなことが何回もあったそうです。絶対に途中で止まったらいかんのに、やっぱり途中でしゃがんでしまう、初年兵で慣れてなくて怖いから、言うてました。」

戦場の恐怖を懸命に克服した栄さんでしたが、爆撃を受け負傷しました。手や肩などを負傷した栄さんは、左手首から先がなくなり親指が皮一枚で残るほどの重傷でした。出血多量の栄さんは、戦友からの輸血で助かりましたが、輸血をしてくれた戦友たちの多くは、レイテ戦で戦死しました。

「主人も、負傷していなければ、同じようにレイテに行って、玉砕していたと思います。」

栄さんは、昭和18年5月頃に病院船で帰国しました。終戦後、小学校の教師になった栄さんでしたが、戦友のことを忘れることはなかったと言います。

「主人の気持ちは、結局は、戦友なんです。同じ釜の飯を食べて、生死を共にしたということの強さですかね。それを私は肌で感じました。とくに主人は、亡くなった戦友の血をもらって、それで生き延びることができた。だから、戦友の方にお礼を言いに行きたい。その戦友のお骨を拾ってあげたい、そして、慰霊、お参りしたい。そういう気持ちだったんです。自分は生き残った。なぜ自分は残されたのか。やはり、戦場での戦友のことを、自分が、みんなに知らせる。自分が、お骨を拾わなければならない。それをするために、自分は残されたっていう気持ちだったんです。」

そして、栄さんの慰霊の旅が始まりました。その旅と栄さんの思いにずっと寄り添った芳江さん。栄さんは平成4年に亡くなりました。しかし、栄さんの思いを受け継いだ芳江さんの心の旅は続いています。




夫の栄さんが所属した歩兵第九連隊第十
一中隊の戦歴を調べ著した『栄光への道』



栄さんが『栄光の道』に加筆して
出版された『英霊』

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