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展示室|基本展示[地図]

滋賀県の主な空襲の被害

下記の日付を 「 クリック 」 すると地図上に、空爆が行われた市町を表示します。

>> 昭和20年 5月14日  クリックして詳細を見る












昭和20年 5月14日
守山市
野洲市(旧中主町)等
甲賀市(旧信楽町・旧甲南町)【機銃掃射】/負傷者3名
彦根市、旭森国民学校付近/負傷者3名

>> 昭和20年 5月17日 クリックして詳細を見る












昭和20年 5月17日
彦根市[焼夷弾]

>> 昭和20年 6月26日 クリックして詳細を見る












昭和20年 6月26日
彦根市、城南国民学校付近[爆弾]
 死者10名・負傷者10名(彦根市史による)

>> 昭和20年 7月24日 クリックして詳細を見る








昭和20年 7月24日
大津市、東洋レーヨン[爆弾]
 死者16名・負傷者104名
・パンプキン爆弾(模型爆弾)の投下

東近江市、八日市飛行場周辺[爆弾・機銃掃射]
 死者2名・負傷者不明
・パンプキン爆弾とは、本物の原子爆弾と同様の形状・
 重量になるように製造したもの。
 原爆投下の 訓練のため全国各地に投下され、
 多くの犠牲者を出した。

>> 昭和20年 7月25日 クリックして詳細を見る








昭和20年 7月25日
彦根市、近江航空・鐘紡等[爆弾]、
 近江鉄道電車[機銃掃射]死者6名・負傷者35名

東近江市(旧八日市市)[爆弾]/死者2名

>> 昭和20年 7月28日 クリックして詳細を見る








昭和20年 7月28日
彦根市、近江航空・鐘紡[爆弾・機銃掃射・焼夷弾]

>> 昭和20年 7月30日 クリックして詳細を見る








昭和20年 7月30日
守山市、守山駅の列車[機銃掃射]/
 死者11名・負傷者24名(守山市史による)
彦根市[爆弾・機銃掃射]/負傷者2名
東近江市(旧能登川町)日清紡[爆弾・機銃掃射]/
 死者1名・負傷者1名
大津市、大津陸軍少年飛行兵学校[爆弾]/死者1名
 大津市、滋賀海軍航空隊[爆弾]
東近江市(旧永源寺町)[機銃掃射]/死者2名
 近江八幡市、列車[機銃掃射]/死者1名

>> 昭和20年 7月31日 クリックして詳細を見る








昭和20年 7月31日
彦根市[爆弾]
豊郷町[爆弾]

>> 昭和20年 8月6日  クリックして詳細を見る








昭和20年 8月6日
長浜市鐘紡工場[爆弾]/死者1名・負傷者1名

主な軍事施設

滋賀県では、1925年(大正14)年に陸軍軍備縮小によって大津聯隊区司令部が廃止されました。
この年以降、日中戦争の頃までは軍事施設は存在しませんでしたが、神崎郡八日市町(現在の東近江市)には、1922(大正11)年設立の飛行場がありました。八日市飛行場は満州事変から拡充され、太平洋戦争時には飛行戦闘部隊が編成されて、ここから戦地へと向かいました。
1941(昭和16)年4月、大津市に大津連隊区司令部が復活しました。太平洋戦争の頃から大津市にも軍事関係施設が設置されるようになり、大津海軍航空隊、滋賀海軍航空隊、大津陸軍少年飛行兵学校などが開設されました。
また、1945(昭和20)年の春頃から、比叡山ケーブルの終点付近に、特攻兵器の一種である「桜花」の基地をつくる作業が進められました。

滋賀県の捕虜(俘虜)収容所

戦時中、滋賀県には連合軍兵士などの捕虜を収容する施設がありました。
大阪の捕虜収容所の分所として開設され、いずれの収容所の捕虜(当時は俘虜と呼ばれていました)も琵琶湖内湖の干拓などの作業に従事しました。

■第8分所 野洲市野田(野田沼)オランダ兵 約160名
■第9分所 東近江市伊庭(小中ノ湖)アメリカ・イギリス・オランダ・オーストアリア兵 約300名
■第10分所 米原市梅ヶ原(入江内湖)アメリカ・イギリス兵 約200名

県民の戦争体験冊子「戦争なんか大キライ」県民の戦争体験冊子「戦争なんか大キライ」

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東近江市下中野町431番地