満州事変から太平洋戦争までの
滋賀県民一人ひとりの戦争体験および当時の資料等を紹介しているサイトです

しがけんバーチャル祈念館

戦争体験談・資料提供のお願い戦争体験談・資料提供のお願い

はじめにはじめに展示室展示室ライブラリーライブラリー平和学習支援平和学習支援貸し出し資料貸し出し資料施設概要・イベント情報施設概要・イベント情報

HOME > ライブラリー > 県民戦争体験記録集「戦争なんか大キライ2」


戦争なんか大キライ2

戦争なんか大キライ2いまから60年以上前、日本は戦争をしていました。
その戦争で亡くなった人は、滋賀県だけで3万2千人以上にのぼります。十分な食べものやクスリがなかったために亡くなった赤ちゃんや、電車に乗っていて戦闘機がうった弾にあたって死んだ人はふくまずにこれだけの人数になるのです。 この本は、戦争中に私たちの地域で起きたいろいろなできごとをまとめたものです。もちろんこの本に書いていない、たくさんのできごとがありました。もしみなさんが、いま自分が暮らす地域と戦争とのかかわりについて興味がでてきたら、この本を参考にして、ぜひ調べてみてください。
■発行:平成15年3月 ■ページ数:25ページ(B5版)


もくじ

  1. ばくだん池のカエル-
  2. 悲しい夏休み-
  3. 消えた飛行場-
  4. プラットホームは知っている-
  5. みんなの願い -
  6. ミスタータナカ、クリスマスは母国でむかえるよ -
  7. 学校の授業がなくなった -
  8. 山のなかの大きなあな -
  9. にがいどんぐりパン -
  10. 終わりが始まりだった!-
  11. 滋賀県と戦争 <地図>  空襲の被害(昭和20年)
  12. さがしてみよう、滋賀県の戦争のこと
  13. さがしてみよう!キミたちの地域と戦争のことを

訂正:5ページ 悲しい夏休み
弟のただおさんの名前は正しくは『忠雄』です。

訂正:17ページ 特攻機を運んだ比叡山のケーブルカー
昭和20年6月、滋賀海軍航空隊(滋賀空)の隊員たちが比叡山の山頂で工事を始めた。山を切り開いて飛行機の発射台をつくる工事だった。発射されるのは、「桜花」と名付けられていた、敵の艦隊に体当たりをするための特攻機で、新たに編成された特攻隊が飛び立つことになっていた。「桜花」は体当たりをするために飛んでいく飛行機だから、着陸はできなかったんだ。そんな飛行機に乗る人は、どんな気持ちだったんだろうね。
「桜花」を運びやすいように分解し、ケーブルカーで山頂まで運んで、そこで組み立てた。カタパルトという発射台の完成予定は8月15日だった。でも、その日、日本は終戦を迎えたので、比叡山から特攻機が発射されることはなかったんだ。

訂正:22ページ 滋賀県と戦争<地図>
大津海軍航空隊と滋賀海軍航空隊の位置関係が逆になっています。正しくは、滋賀海軍航空隊が北に位置します。

訂正:23ページ 空襲の被害(昭和20年)
6月26日
彦根市の福満国民学校の昭和20年当時の名称は「城南国民学校」です。10人が亡くなり、10人がケガをしました。(彦根市史による)

7月25日
彦根市内を通過中の近江鉄道の電車への機銃掃射があり、当日の彦根市内の空襲で、6人が亡くなり、35人がケガをしました。

7月30日
守山駅の列車への機銃掃射で11人が亡くなり、24人がケガをしました。
(守山市史による)

このほかにも、30日に近江八幡市内で列車への機銃掃射に巻き込まれて1人が亡くなっています。







子ども向け滋賀県民戦争体験「戦争なんか大キライ」シリーズ


戦争なんか大キライ
学校にみる滋賀県民の戦争体験


戦争なんか大キライ
戦場にみる滋賀県民の戦争体験