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甲賀市甲南町に移住の川端健夫さんと美愛さん 

写真:川端健夫さんと美愛さん

DATA

氏名 川端  健夫
川端  美愛
移住を始めた年月 2003年秋より
現居住地 滋賀県甲賀市甲南町
前居住地 東京都

 

独立の地を探して

写真:木工をする健夫さん

  甲賀市甲南町に住む川端さんは、木工作家とパティシエのご夫婦。独立を機に東京から移住し、工房を併設したギャラリーと、カフェを併設したパティスリーを営んでいる。大阪生まれの健夫さんは、東京の大学で農業を学んだ後、三重県で仕事に就く。そこで美愛さんと出会い、結婚。共に食に関するものづくりを仕事とし、いつか一緒に店をやりたいと考えていたため、東京で基礎から勉強することにした。
  健夫さんは有名な有機栽培農家で一から農業を学ぶつもりだったが、まず資金を貯めてからにしようと職業訓練校に通うことにした。そこで出会ったのが「木工」だった。「やるからには真剣に勉強しよう」と、インテリアショップや家具の展示会を巡り、後に師匠となる作家の作品に衝撃を受ける。すぐに弟子入りを頼み込み、そこで働くことになった。
  美愛さんも、さまざまな洋菓子店を訪ね歩き、衝撃の味に出会った店で働きながら腕を磨いた。
東京での生活は、勉強や遊びには便利だけれど、一生暮らすイメージはまったくなかった。そこで、栃木や山梨、兵庫、奈良など独立の地を探し始めるが、なかなか条件の合う場所が見つからなかった。挨拶を兼ねて訪れた元上司に相談すると、地元の人を介して物件を紹介してもらえることになった。そこはかつて学校の校舎として使われていた建物で、10年以上も空き家状態。窓ガラスは割れ、土壁は崩れ、床板が見えないほど埃が積もっていた。「これを改装しようとすると、どれだけの資金と手間が必要なのか」、考えるだけで力が抜ける健夫さんだったが、美愛さんは周囲の自然環境を見て「絶対ここがいい」と一目で気に入った。

 

「文化の発電所」をつくりたい

写真:お店の様子

  引っ越したのは平成15年の秋。お金はあまりかけられないので、出来るところは自分たちでやろうと決めていた。しかし、あまりにも状態が悪く、途方にくれたまま気付けば2カ月が経過。困り果てた健夫さんは、年が明けてすぐ、事情を書いた手紙を思いつく限りの知人に送り、「とにかく掃除だけでも手伝いにきてほしい」と助けを求めた。すると約30人もの仲間が駆けつけてくれた。中には電気工事や水道工事の出来る人、元大工さんなどもいて、地元の人も含め、たくさんの人のサポートでようやく改装が進み出す。
  健夫さんも工房で木材を加工したり、お店で使うテーブルや椅子を作ったり、美愛さんも開店準備の傍ら、漆喰の壁を塗ったりと忙しい毎日。「その頃のことは、とにかく必死過ぎてよく覚えてないです」と健夫さんが話すほど、精神的にも肉体的にもハードな日々が続いた。電気は通ったものの、ガスはすぐに引けず、水道は外にあるだけ。かろうじて寝泊りできるスペースを確保し、カセットコンロでお湯を沸かし、キャンプ生活のような状態がしばらく続いた。「だから、人が生活できるような空間になった時はほっとしました。ようやくキャンプ生活から抜け出せるなと。この時のことはよく覚えています(笑)」と当時を振り返る。
  実はこの場所に出会った時から、一つだけ決めていたことがある。それは「文化の発電所をつくりたい」ということ。「小さな店でいいと思っていたので、この場所は広過ぎると思ったんです。けれど、出会ったのも宿命かなと。ここで何かやってみろと言われたような気がして。自分たちだけの場所にすることが想像できなかったんです」。自分たちの店というより、人が集まり、一緒に何か面白いことができる場所にしたい、そんな思いから出たこの言葉を、二人はカレンダーの裏に書いて貼り、毎日心の支えにしていた。

 

自分たちらしい暮らしが見えてきた

写真:木工作品

移住から約半年後、平成16年7月に念願のお店をオープン。ようやくスタートできたけれど、美愛さんはお菓子を焼き、カフェを運営し、夜は翌日の仕込み作業に追われ、健夫さんはカフェで使う家具や器など木工製品を作り、忙しい時はカフェを手伝い、店の掃除をし、休む暇がない。当初は二人だけで切り盛りしていたため、一日中働き、疲れて眠る毎日で、一緒に食事をしたことも覚えていないというほど、生活らしい生活ができていなかった。
やがて子どもが生まれ、手伝ってもらえるスタッフが増えると、少し時間にも余裕ができた。家族揃ってご飯を食べるようになり、生活のリズムが整ったことで、ここでの暮らしがようやく実感できるようになってきた。
店には地元の人はもちろん、噂を聞いた人たちが県内外から多く訪れる。地域の子どもたちが社会見学に訪れ、ケーキ作りを見たり、工房で工作体験をすることもある。
「文化の発電所という大きな目標はあるけれど、いまは求められることをしていきたい」と話す健夫さん。ギャラリーでは自身の作品だけでなく、さまざまな作家の作品を展示・販売するほか、最近では「家×クラフト展」と題した企画展も東京や岡山など各地で開催。家にまつわる暮らしの道具を、作家仲間とともに作り手の立場から発信している。
13年が経ち、ようやく自分たちらしい暮らしが見えてきた。でもまだまだお互い仕事で忙しく、家族でゆっくり過ごす時間をもっと作らなければいけないとも思っている。

 

滋賀ってええとこやなあ

写真:店内と風景

「ここで暮らすようになって気持ちが楽になりました。感覚を全開にして自然体のままで過ごせるというか。都会は人・モノ・情報があふれ、受け取るものが多過ぎて、たまに仕事で行くとすごく疲れるんです」と健夫さん。出張に同行した小学3年生の息子さんも、帰ってくると、「あ~滋賀ってええとこやなあ」と言うのだそう。その言葉の背景には、“恵まれ過ぎている”日常の環境がある。
自宅の目の前に小学校があり、グラウンドではキャッチボールやバッティングの練習が自由にできる。野鳥観察をしたり、川で魚をつかまえたり、野菜や米がいつどうやって育つのかも暮らしの中で目にしている。友だちのお父さんが作ったお米を食べる、知り合いの作家さんの作った器を使う。すべて「誰かが作っている」ことを知る息子さんは、コップ一つ見ても、「これは誰が作ったん?」と聞く。豊かな生活環境の中で大事な感性が育まれている。
周囲には里山の風景が広がり、四季の移り変わりを感じられる暮らしがここにはある。「都会でいろんな刺激を受けてデザインしたものと、移住してから自然な感性で作ったものは全然違う」と、健夫さんは自身の作品の変化を語る。美愛さんがつくるお菓子も、地元で採れた野菜や果物、牧場の牛乳を使ったオリジナルが生まれている。二人は、それぞれの感性でものづくりを楽しみながら、さまざまな文化を“発電”し続けている。

 

滋賀ぐらし