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更新日:2014年12月11日

滋賀県の統合過程

現在の滋賀県が誕生するまでにたどった道のりです。

 

統合過程(決定版)

 

 

    江戸時代の近江国は、藩領・公家領・寺社領・幕府直轄領など、大小様々な領地が入り組んだ状態でした。明治4年(1871年)7月に行われた廃藩置県では、旧来の「藩」を「県」に置き換えた膳所県や彦根県など8つの「県」が誕生し、そのほかにも15県の飛び地が存在していました。全国的に県の統廃合が進んでいく中で、まず明治4年11月に南が「大津県」(滋賀・栗太・甲賀・野洲・蒲生・神崎の南部6郡)、北が「長浜県」(愛知・犬上・坂田・浅井・伊香・高島の北部6郡)として大きく統合されました。この大津県・長浜県はそれぞれ「滋賀県」・「犬上県」と改称され、やがて明治5年(1872年)9月に両県が合併することで、現在の「滋賀県」が誕生しました。

 

明治9年(1876年)、政府が経費節減などを目的として3府35県に府県を統廃合した際に、敦賀県(現在の福井県とほぼ同じ領域)が廃止となり、若狭国(三方郡・遠敷郡・大飯郡)と越前国敦賀郡<若越四郡>が滋賀県へ、残りの地域は石川県へと移管されて、滋賀県は一時的に若狭湾に面した県となりました。この時期の滋賀県管内をあらわしたのが、県政史料室HPトップ画像の『新撰滋賀県管内全図』(明治13年(1880年))(滋賀県立図書館所蔵)です。

しかし明治14年(1881年)2月7日、福井県が設置されるに伴い、この<若越四郡>が滋賀県から離れ福井県へ移管されることが決定しました。これに対して県令籠手田安定は、太政大臣三条実美と内務卿松方正義あてに若越四郡は地理・歴史・人情の面で滋賀県に近いことなど7カ条にわたる主張を展開し、「福井県ニ合ス可ラサル」と反対を建議しました。また遠敷郡などでも滋賀県への「復県運動」が起きましたが、それらが聞き入れられることはありませんでした。 

 

詳しくは、平成20年度展示資料「滋賀県のはじまり(PDF:223KB)」、平成21年度展示資料「県庁舎の歴史(明治編)(PDF:368KB)」、

 平成24年度展示資料「明治5年の滋賀県-県政140周年-(PDF:950KB)」、「近代との対話(前期)(PDF:1,675KB)」、

平成25年度展示資料「近代との対話(後期)1(PDF:4,488KB)」もご覧ください。

 

 

 

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お問い合わせ

滋賀県県民生活部県民活動生活課県民情報室

電話番号:077-528-3121

ファックス番号:077-528-4813

メールアドレス:kenmin-j@pref.shiga.lg.jp